意味怖

それでも彼女はスパイを続けた

投稿日:2016-05-25 更新日:

彼女は貧しい星に生まれた。

惑星Bは、彼女が乳飲み子だった頃に戦争に敗れ、実質的に惑星Aの従星だった。

彼女は16で親元を離れた。

渡航船の中で、同行した軍人から新しい名前を貰った。

それは惑星Aでは「雨」を意味する言葉だった。

衣服も支給され、代わりに今まで持っていた全ての所持品は没収された。

最後に見た父と母の顔は、あのときトイレの個室に流した家族写真だった。

小さくなっていく母星の姿と、窓に反射して映る白いシャツを着た自分の姿を、今でもハッキリと覚えている。

 

惑星Aに着いた彼女は軍需工場で働いた。

勿論、そこで得た情報を母星に伝えることが目的であった。

工場で必要とされる知識や技能は、幼少の頃から教え込まれていた。

彼女は優秀な働き手として、同僚からの信頼を獲得していった。

しかし、それは彼女に多少の戸惑いを与えた。

鬼や悪魔になぞらえて教えられたこの星の人々も、自分たちと大差ない同じ人間だと認識せざるを得なかったからだ。

休日に子供とキャッチボールをする工場長の姿は、幼い頃の自分と父の姿に重なった。

 

それでも、

彼女はスパイを続けた。

 

この星に住み数年が経った頃、彼女は結婚をした。

相手は軍の有力者の息子だった。

本質的に彼女のターゲットは父親の方だった。

義父となった男の行動を監視し、内部から機密情報を得ることが指示された命令であった。

それは一定の成果を上げることができた。

ちなみに息子の方はというと、ただの理想家のお坊ちゃんだった。

父の意に反し、惑星間の主従関係の解消を目指して無意味な活動をとりおこなっていた。

幼い頃に両親を亡くしたという彼女の嘘に涙を浮かべ、これからは自分が守ると誓うような、ただの甘っちょろい男だった。

彼は彼女を愛していた。

それは彼女にも伝わった。

 

それでも、

彼女はスパイを続けた。

 

彼らの間に娘が生まれたとき、ついに戦争が始まった。

お互いの星に火柱が立ち、彼女は赤子を抱き、義父が用意したシェルターにこの星の人々と一緒に逃げ込んだ。

戦いは長期化し、夫の出兵が決まった。

彼女は夜泣きをする娘の身体を抱えたまま、旅立つ夫に小さく手を振った。

この状況下で彼女が母星に情報を伝えることは、直接的に夫の命を危険にさらす行為であった。

 

それでも、

彼女はスパイを続けた。

 

戦争が終わり、彼女の母星は独立を勝ち取った。

彼女の功績は高く評価され、一度は捨てた名前に対し勲章が贈られた。

帰還した後、名誉ある地位が与えられる手筈となった。

両親の存命も知らされ、ボイスメッセージで10年ぶりに母の声を聞いた。

まるで小さな子供に話しかけているかのような優しい声だった。

封をしていた記憶が堰を切って溢れ、涙になって流れ落ちた。

 

それでも、

 

彼女はスパイを続けた。

 

食卓についた娘が手を合わせる。

「いただきます」

彼女も手を合わせ、目を閉じる。

「いただきます」

今日も彼女はこの星の地に溶け込み、日々を過ごしている。

 

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